Trip to Seoul
 指折り数えてみると両手両足の指と同じ、20年ぶり3回目の韓国ソウル旅行になりました。友人の誘いを受けご一緒させていただだいた8人のグループです。今回は仲間の友人でもあるソウルのキムさんが私たちを案内してくれました。
 20年前のソウルを今と比較すると隔世の感があります。私が知っているソウルはオリンピックの前で物価もそれなりに安く、高層マンションなどみられませんでした。
 今回特に印象的だったのは空港とホテルの往復のなかで、わずかな時間でしたが女性ガイドさん二人の人柄がとても自然で好印象でした。
 20年間韓国に行かなかった理由をこじつけるようですが、大昔過去2回の韓国訪問で接したガイドから、市内観光の道中「私のおじいさんはあなたのお父さん達に殺されました・・」と言われたことにとても違和感を感じ、それ以降韓国行きを敬遠していました。
 今回の短い滞在だけでは、当事の国民感情と現在がどのように変わってきたのか判りませんが、常識的に観て初対面の人や、ましてやガイドとして顧客である観光客の我々にこのような話題を平然という感覚がどうしても理解できなかったことは事実です。
 昔年の思いにこだわりを抱いていたわけではありませんが、今回のソウルはそんな思いを抱いていたことを忘れる時間になりました。

神戸三宮から関空までは65分(1800円)の道のりです。途中六甲アイランドに立ち寄る便は10分程度所要時間が長くなります。3度目のソウル訪問は2007年2月16日朝我が家を出発することになりました。
冬のソウルの寒さは経験済みであり、暖冬の日本といえどもソウルは違うとの思いで防寒着を強化して出かけました。
結果は、ソウルの異様な温かさでオンドルの部屋では汗が噴き出す始末でした。特に食事時は余計に暑く、外気に触れるとこんなに快適なものかと冷たい空気が恋しくなりました。
異常気象で始まった2007年はこの先どんな天災が待っているのかと正直不安な思いを抱くほどのソウルの温かさでした。

アシアナ航空を初めて利用します。そう言えば20年前は無かった航空会社でしょうか・・大韓航空より機材も新しく乗務員教育もよくサービスの良い快適な航空会社です。
2月18日は韓国のお正月です。そのせいか機内はがら空きで往復とも乗機率30%程度です。
機内食は2時間足らずの飛行ですから豪華ではありませんが合格点です。それよりも金浦空港しか知らない私にとってインジョン空港は清潔な感じで快適な空間でした。
20年間でずいぶん変わった感じのソウル市内は高層マンションが並び豊かな層と中級層の棲み分けが進んでいるようにみえました。

SEOUL ROYALホテルは2度目です。韓国銀座と言われる明洞の繁華街に近くて便利な場所にあります。
南大門市場にも徒歩で行ける距離で、活気のある市場は歩くだけで面白いグッズを見つけることができます。
到着の翌日、早朝に起きだし真っ暗な中、明洞の繁華街を散歩してみました。観光客は誰もおらず歩道のゴミを片付ける人影が見られるくらいです。
どういう訳か海外に行くといつも朝の町を歩くことにしています。薄暮から人々が動き出す時間をともにするとその町がよく理解できます。
中国ならこの時間帯は朝食をとる人たちで溢れている時間です。ソウルの町はどこかで日本の雰囲気に近い感じを受けます。
それにしても明洞は若者の街です・・

韓国料理と言えば焼き肉を思い浮かべる人も多いようですがそんな単純なものではありません。
到着後最初の食事のメニューは参鶏湯(サンゲタン)です。
これは、若鶏というよりヒナ鳥の内臓を取り出しその中に餅米を入れスープで煮込んだソウル名物です。
価格は8000ウオンですから1000円位でしょうか・・
これにキムチ等が食べ放題ですから寒いソウルには最適な食べ物でしょう。ただ鶏が苦手な人が別ですが・・

地球の歩き方のソウル版には膨大な観光施設が載っています。
明洞の近く、これがソウル城郭の正門、南大門です。1398年朝鮮初代王時代に創建された建物ですが石の上に木造建築の技術をつかった建物です。
ロータリーの中に再建された名所の一つですが、イルミネーションに浮かび上がる光景は目を引きます。
寒さのなか、夜のソウル市内を歩くのも韓国旅行の醍醐味でしょうが、今年ばかりは寒くないソウルであり常識を完全に裏切った事になります。

ロッテ百貨店のあるミョンドン(明洞)には戦前の日本の建物が多く残っています。
この銀行もそのまま現代風の銀行として、また旧三越百貨店もそのままデパートそして使われています。
私が仕事でしょっちゅう訪れる中国、大連や藩陽はこの比ではないくらい戦前の日本の建物が多くあります。
これらの建物を通じて正しい歴史を学ぶか・・どう申し送るかは大切な課題だと思います。
単なる入れ物としての建築物ではなくその背景を相互の若者が学ぶきっかけとして残したい建物です。

世界文化遺産になっているチャンドックン(昌徳宮)は一見に値します。旧朝鮮李王朝正宮であるキョンボックン(景福宮)ついで1405年2番目に作られた建物です。
見所は多く、場内をゆっくり見学しようとすればそれこそ一日かかるでしょうが、今回はガイドさんについて約一時間をかけて古き朝鮮王朝の香りを味わいました。
何より心に残ったのは、大正5(1916)年本人も知らない間に李王世子、すなわち大韓帝国皇太 子・垠(ウン)との婚約をした梨本宮方子(なしもとのみや・まさこ)妃の住居を見学したことです。
「よくわかりました。大変なお役だとは思いますが、ご両 親様のお考えのように努力してみます・・・」当事わずか15歳の娘だった方子様の毅然たる態度はその後始まる日韓の軋轢の狭間で波乱の人生となりましたが、方子妃はまさにこの覚悟通りに、日韓の 架け橋としての大きな役目を果たした 。立派な日本人の足跡を垣間見ることができました。

Nソウルタワーは初めてです。ソウル市内を一望できるテレビ等ですが、1971年に完成し1980年に市民に公開されました。タワー自体は230メートルでさほどではありませんが、標高265mの山の頂上に立っているのでかなりの高さに見えます。
今は麓からシャトルバスで行かねばなりません。もちろん徒歩でもOKですがかなりの坂道です。

ブルーハウスに行こう・・「えっ・・」と聞き返したらアメリカはホワイトハウス、韓国はブルーハウス・・青瓦台の大統領官邸のことでした。
以前ソウルに行ったときは立ち入りできなかった道路は今も厳重な検問があるものの通ることができます。
但しゲート側の歩道は通行禁止で歩道外に出ると私服や制服の警察官に制止されます。
観光地でもありますがそれなりに緊張感が漂うソウルの光景です。

アシアナ航空の座席に設置されているナビげーションです。
世界地図と異なるのは、日本海は「EAST SEA」黄海はWEST SEAそして竹島がDokdoになっています。
ハングルでこれらを表記するのはそれなりの納得できますが、外国人が利用する国際便の英文表記でもこれらを主張するあたりにまだ潜在的な国民感情があるのでしょうが、全く気にかけない日本人の存在は大人なのか無知なのかそれとも観光さえできれば何でも良いと思うのか不思議な感じがします。