Trip to Turkey
 トルコ・イスタンブールの旅

 
ダムの湖底に沈む長江の歴史を訪ねた船旅・・三峡くだりに参加したのは随分前のことになります。
 その時も旅行社のツアーに参加したのですが、新しい友人に恵まれる機会でもあるツアー旅行は久しぶりのことです。
 
 2月のある日新聞の全面広告に、パリ、トルコなど・・格安ツアーの広告が掲載されました。私自身は時間的余裕も無いので積極的な思いはありませんでしたが、家内はイスタンブールと言う文字に釘つけになっているようでした。
 
 家内がエジプトなど歴史のある都市に興味を抱いているのは、考古学と言う得体の知れない世界に興味を抱き博物館のボランティア要因として足しげく通っているせいかもしれません。
  
 今年になって昨年か届いていた企業年金などの受給手続きをしたこともあり、もうそんな歳になったと感慨と、一つの区切りを迎えたような気きがしたのも事実です。
 それなら人生のひと区切りの記念に「飛んでイスタンブール」も良しかもしれないと思い、「行ってみるか・・・」となったものです。
 どうせ行くなら早い方が言い・・と比較的時間の余裕がある4月の中ごろに照準を定めました。

 広告では大韓航空を使いソウル経由でイスタンブールに飛ぶとのことでしたが、北朝鮮のミサイル騒動の時期でもあり、申し込み後急きょトルコ航空の直行便に変更になると連絡を受けました。私としてはソウルで数時間待ち時間をとっても飛行時間が変わらないなら直行の方が時間短縮でもアリ喜んで受け入れることになりました。
 飛んでイスタンブール・・・という歌が流行ったのは1970年の後半だったと思いますが、こんなきっかけでまさかイスタンブールまで行くとは思いもよりませんでした。
 さあ、トルコ旅行の始まりです!

関空までそしてイスタンブールまで
 関空までのアクセスはほとんどの場合三宮から連絡バスを使っていました。
 大きなスーツケースを最寄のJRの駅まで転がし階段の上り下りをしながらバスターミナルまで行くのも結構面倒なものです。
 そこで神戸空港から関空を結ぶジェットホイルの高速船、ベイシャトルを使うことにしました。
 これは便利で、車は30日以内なら何の手続きも不要です。往復の乗車券なら2700円で駐車料金を考えるとお得な金額です。
 このジェットホイル便は、何度も経営危機に瀕しその都度経営主体が変わりましたが駐車場は満車状態で見かけでは人気があるように見えます。


13時間をどう過ごすか・・
 出発は4月13日日本時間夜の9時半、イスタンブールまで13時間の「夜間飛行になります。
 その間2回の食事と、深夜の間食がでます。トルコ航空の機内食はディナー、朝食とも2種類ありますがアメリカの航空会社と比べるとかなり上級です。
 飛び立ってすぐの食事・・そして眠りにつくのですが、体内時計を保有する私にとってイスタンブールまで爆睡と言う芸当はできません。
 その間楽しめたのがエアナビです。宛がいぶちではなく自分で画面をコントロールでき地図とにらめっこしながらどこの上空を飛んでいるのか追いかけるのは十分に面白い遊びになりました。


飛行ルートをたどりながら
 イスタンブール到着2時間前から朝食サービスが始まります。これも合格です・・
 機材はエアバス330で、飛行ルートは韓国から中国上空を通りりカスピ海から黒海に入りトルコに・イスタンブールに着きます。
 日本との時差はこの時期マイナス6時間、つまり日本の朝はトルコの深夜となります。
 この時間になると家を出てから十数時間・・かなりの時間が経過したことになります。
 ざっと見渡しても今回のツアーは私と同じ世代が多く、人生の新たな区切りを迎える、いや迎えた人が大半のようでした。

 


「アタテュルク空港」到着
 イスタンブールに着いたのは14日(現地時間)朝の5時半です。
 お尻の痛さと退屈で一刻も早く機内から出たい衝動にかられます、
 イスタンブールへ入る国際便のほとんどは「アタテュルク空港」を使います。
 スーツケースはポーターがまとめてバスまで運んでくれるのでありがたいのですが、最近のオーバーウエイトに対する課金は厳密で一つ20kg制限のスーツケースですが、夫婦二人で40kgと言うわけには行かず、片方が20kgを超えていると課金されます。
 空港駐車場で迎えてくれたバスは、現地で作っている三菱ふそうバス、ここから2700kmのトルコ国内移動が開始されます。


トルコの通貨
 トルコの通過は、TL(トルコリラ)です。1トルコリラは、70円足らずになります。2009年1月からYTLという表記からTLに変わったそうで街中でおつりを貰うと一回り大きい旧通貨を渡されることがあります。
 補助単位はKr(クルシュ》といわれ、1TLは100krでし。
 1トルコリラは使い勝手があります。トルコでトイレに行くにはお金が必要です。
大抵は50クルシュですから1トルコリラでおつりがあります。
 その点このたびはカップルが多いので、二人で1リラですから便利な通貨です。


トルコ旅行の食事
 トルコはカッパドキアの葡萄から作られるワインも有名ですが、旅の道中欠かさなかったのが「EFES」ビールです。
 あっさり味の大衆的な味覚ですが、トルコで一番見かけた銘柄です。
 トルコ料理は世界三大料理といわれていますが、今回のような安ツアーではトルコ料理を食べた!と自慢できそうにもありません。
 きちんと3食保障されているのが珍しいくらいで贅沢は言えません。ただトルコのパンは美味しくいただけます。パンの美味しい国の料理は間違いないというのも世界に共通しています。


ボスポラス海峡を渡りアジア側に
アタテュルク空港を出てヨーロッパ側のイスタンブールからアジア側に移動するためにフェリーに乗船しました。
出港前に操舵室に入り船長に写真を撮らせてというと「もちろん・・」と招き入れてくれました。この船は前後に操舵室があり動き出すと仕事は終わり、気がつくと前方のブリッジに別の船員が舵をとっていました。
ボスポラス海峡を挟んだゲリボル半島のエジェアバトからアジア側のチャナッカレを結ぶ短い船旅は海峡をまたぐ橋を一気に通り過ぎるのとは一味違った味わいがあります。


トロイの遺跡
イスタンブールから真っ先に向かった遺跡がトロイです。
「トロイの木馬」の伝説を信じたドイツのシュリーマンが1871年から2年かけてヒサルルクの丘を発掘した話は有名です。
写真の巨大な木馬は伝説に因んで復元したものですが、シュリーマンが持ち帰った黄金のマスクとネックレスは敗戦のドイツからソ連に持ち去られいまはロシアにあります。
トルコは返せと言い続けているようですが、領土返還に応じないロシアがそう簡単に返すはずはないでしょう・・・
 この日は雨模様・・小雨の中をトロイの遺跡を巡りましたが、幾層にも重なり沈黙を続けたトロイはまだまだ発掘調査が必要だそうで、新しい発見が今後も続くことと思います。


アイワルクの町
トルコ最初の宿はアイワルク「HALIC PARK HOTEL」です。日本を出てからすでに20数時間経っています。
エーゲ海沿いの小さな町ですが、長期休暇時にトルコ人がどっと押し寄せるリゾート地です。
エーゲ海って聞くと、特別な響きがありこんなところまで来たのか・・とふとこんな思いが頭をよぎります。
元は島だったところに道路をつけて陸続きにしたこの地は、一見湖の中にあるのかと錯覚しますが、この季節は人も少なくプールも閑散として実に素朴な場所です。周囲に遊び場は無くぐっすり眠り翌朝の散歩も快適で小規模ながら道路のイルミネーションがきれいなところでした。


トルコ石
ツアー旅行の面白さと欠点は旅行社の売り上げに貢献するため強制的に連行される土産物店です。
まず行ったのがトルコ石の販売店です。こんな安ツアーに群がる連中は買わないだろうと思っているとそうでもなく、おばさんたちは必死に値切り、後ろめたさのある男性もここぞとばかり品さだめに夢中です。
そうこうしているうちに家内からお呼びがかかり、きちんと支払いをさせられる羽目になりました。そういえばこんな田舎に一般人が来るはずも無く、観光バスだけでこれだけの従業員を抱えている宝石店の現状を見ると観光という産業が元気かと言うことを証明しているようです。
次に驚いたのはトルコ絨毯の工場です。流暢なトルコ訛りの日本語の説明は、秋葉原の駅前の口上に匹敵するレベルで、さすが私は遠慮しましたが、皆さん結構買い込んでいました。
何でも神戸に提携ショップがあり、販売後はここですべてのメンテンスをしてくれるそうです。
私が欲しかったのは空飛ぶ絨毯で、これで日本まで変えれれば考えたのですが、確認するとシートベルトはオプションとのことであきらめました!!ジャンジャン!


魔よけのお守り
トルコで目に付くのがこの不思議な目玉です。いわれはよく判りませんが「魔よけ」だそうです。
あらゆる場所で、売られているのでトルコ中にこの目玉が溢れています。
観光バスの後部ボディにも、大きなこの魔よけが張ってることから、これは日本流の交通安全祈願のお札と同じご利益があるのだと思います。
日本に帰ってこの目玉の講釈を加えプレゼントするとみんあ大喜びで、意外と我々の周りに「悪魔」が潜んでいることが判ります。
現代人が面白がるグッズでした。


ガイドブックなどなど・・
変動相場で価格がマチマチなのがこの手のガイドブックです。
各国語で販売されていますが、撮り忘れたシーンや聞き逃した説明の復習として役に立ちますが問題が価格です。
観光地で「せんえん、千円・・・」言い寄ってくる売り子のおじさんと交渉するのも面白のですが、先に買った人が後から買った人に値段を聞くとたいていガッカリするのも面白い光景です。
掲載されている写真はかなり古いものが多く、環境破壊が進行していることがこの写真からも理解できます。
私を含めてこれだけ多くの人が足を踏み入れるトルコの遺跡を保存するには半端な費用でないことを見ると観光と保存と言う相反する課題の克服は至難の業だと思えます。
絵葉書や地図やガイドブック販売で家族を養っている人も大変だなあ〜と感じる世界共通の背景でしょうか・・


入場券
トルコの観光地への入場は、共通のフォーマットのカードが切符となります。
自動改札機に挿入して通過することになりますが、どこのメーカーか判りませんが実に反応が遅く不安定です。
もしこれが日本の駅の改札機に使われたらとんでもない大混乱を起こす位のものです。
事実一度配られた入場券を機械が故障したからと回収され、そのまま返ってこないこともありました。

今回はトルコ国内を2700キロ移動したことになりますが、これほど遺跡と歴史を湛えた都市も少なく、何よりトルコの原点は蒙古人にあり今のトルコは人種のミックスされた国家です。


古代都市エフェソス
巨大古代都市エフェソスは、今は廃墟のようですが、繁栄を極めた時代があったのは確かなことです。
2万5千人を収容する野外大劇場や12万冊の蔵書を持つ図書館など往時を偲ぶと古代のロマンが限りなく浮かび上がります。

競技場
これが2万5千人を収容できる劇場ですが、実際にオーケストラの演奏を実施したこともあるそうです。


パムッカレ
パムッカレとは、トルコ語で「綿の宮殿」という意味です。1988年に世界遺産に登録された複合遺産です。
トルコ西部にあり、イズミールから東南へ約250q、デニズリから約20qに位置するパムッカレは良質の綿花の一大生産地であったことから呼ばれたものです。
弱酸性の雨が炭酸カルシウムの溶液となって地下水となり、それが地熱で温められて湧き出て温泉となりました。
沈殿した石灰は固まり純白の棚田のような景観を作り出しています。
足をつけましたがそんなに熱くはなく、これが温泉かいな!と思うほどです。


ヒエラポリス
パムッカレの石灰棚の一番上にある遺跡です。
ローマ帝国の温泉保養地として栄えたところですが、ローマ帝国時代にも地震で破壊されその後復興しました。
しかし1354年の大地震で完全に廃墟と化しました。
ローマ劇場やローマ浴場などが残っていますが、時間がなくすぐ前で引き返してしまいました。


メヴィラーナ博物館

館内の写真が撮られないので後から振り返ても記憶が薄らいでいることが多くなりました。
このメヴィラーナ博物館は旋舞で世界的に有名なメヴィラーナ教団の総本山だったところです。
館内には名僧たちの霊廟や資料室、修行場などがあり、コーランの文字やメヴィーラの文字が美しい金文字で描かれています。


カッパドキアの熱気球
早朝にホテルの部屋から熱気球が上がるのが見えます。
その数20機ほどですが、ヨーロッパの観光客に人気のようです。
大空から見るカッパドキアの景色は想像するだけでわくわくします。

次回は是非ともチャレンジしたいものです。


カッパドキア
何とも感動的というか、摩訶不思議と思うのがこのカッパドキアの石の家です。

カッパドキアは、後期青銅器時代にハッティ人として知られ、ハットゥシャに中心を置いたヒッタイト軍の本拠地となった場所です。







隊商宿(キャラバンサライ
キャラバンサライは隊商宿と呼ばれ、隊を組んで長い旅を続けていた商人達の旅の宿です。
キャラバンサライはルート上、約30〜45kmの間隔で建てられましたが、この30〜45kmというのは、キャラバン達が1日に旅ができる平均的距離だったと言います。
現在トルコ国内には約100のキャラバンサライが残っていますが、そのほとんどが廃墟化してしまっています。


アンカラからイスタンブールへ
トルコの首都アンカラからイスタンブールへは国内線の飛行機移動です。
陸路2700kmほどの移動の強行軍ですが、さすがここからイスタンブールに走るには相当の覚悟が必要です。
トルコ北西部のルコを代表する都市がイスタンブールです。
オスマン帝国の首都として繁栄。1923年にトルコ共和国の建国した際に首都機能を現在の首都アンカラに遷都し、コンスタンティノポリス以来、約1,000年の国家の首都しての役目を終えました。


ブルーモスク

ブルーモスクの正式名は、「スルタン・アフメット・ジャミィ」 です。
由来はモスク内の内部装飾に使用されているブルーのタイルが美しく、ヨーロッパ人からいつしかブルーモスクと呼ばれるようになったそうです。
ブルーモスクの高さは、43m、直径23.5mの巨大なドームとその周囲には、ミナレット(モスクの周りにある尖塔のこと)と呼ばれる尖塔が6本あります。
このミナレットの数が多いほど格式の高いモスクです。
これが建てられたのは、17世紀の初頭の頃で、当時の皇帝スルタン・アフメットが建築家メフメットに建てさせたイスラム教寺院です。


トプカプ宮殿

イスタンブールのトプカプ宮殿は、1985年に世界遺産に登録されたイスタンブール歴史地域のひとつです。
15世紀中頃から19世紀中頃までオスマン帝国の君主が居住した宮殿です。
現在は、博物館として一般に公開されています。


ルステムパシャモスク

こじんまりしたモスクですが、とても印象深いモスクです。
エジプシャン・バザールに近い活気あふれる地区にあり、モスクの下には雑貨品や家具などの店舗がありまする。
店舗の両側にはモスクへと上れる2つの階段があり、中庭にはテラスがあります。


クルーズ

ヨーロッパとアジアを結ぶ町、イスタンブールはボスフォラス海峡をはさみ左右を見るだけでその違いが判るくらいです。

一度にヨーロッパとアジアを味わえる貴重な観光地です。
この海峡を登り下りしながら遥かオスマントルコ時代に思いを馳せるのは楽しい時間です。


帰国
あっと言う間のトルコの旅は名残りを残しながら終わりを告げようとしています。
 
長い空路になりますがイスタンブールの空港でトルコ最後の時間を過ごします。


帰国

黒海、カスピ海などナビに表示される地図をみながらこんなところを飛んでいるのだとちょっと感動します。
深夜便の退屈な時間ですが、機内の時間を上手く使う工夫も大切なようです。


おかげさまで無事に帰国することができました。
出会ったすべての方々に感謝しています。